『たったひとつの命だから』向き合えそうで向き合えない言葉だなと思います。
65歳で発病した母は、3年間、闘病生活を送りました。
ある日、病院のベッドで寝ていた母が「最期は、家で迎えたい」と、言いました。
「私は、ひとりぼっちのこの病室で、淋しい気持ちで死んでいくのは嫌だ」
「子供じみているけど、連れて帰ってもらえんやろか」 そう言いました。
ドクターと話し合って、三日後に連れて帰りました。
いろいろな管から解放された母は、家に帰るととても元気になりました。
好きな物を食べ 自由にテレビを見て 誰に遠慮することもなく、大笑いしていました。
「やっと、人間らしい生活に戻れた~」
「病院だと、大きいおならも気持ち良く出来んかったんよ」
「だいたい、一日中パジャマ姿というのが間違っていると思うわ。 女はおしゃれを楽しまなくっちゃ」
と、言っていました。
痛みが強い日は、部屋から出てこないので、すぐ分かります。
でも、痛いと言えば病院へ連れ戻されることが分かっているので痛いとも言いません。
しんどい日があったと思います。
意地っ張りだけど、明るくて楽しい事が大好きな母らしい姿でした。
2020年のお正月を迎えることは厳しいと言われていましたが 孫たちと賑やかに過ごしてくれました。
それから10日くらい経ったころ、安心したのか、急におとなしくなりました。
私は、母の死が近いことを感じました。親戚や友達に会いに来てもらいました。
母は、「みんなにいいお別れができたよ、ありがとね」と言い、とてもすがすがしい顔をしていました。
数日後に呼吸困難になった母を救急車で運びました。その日から、言葉を発することは出来なくなりました。
でも、こちらからの呼びかけには、かすかに頷いて応えてくれました。
「お母さん、ありがとう」そう言うと、涙を流しました。
お別れの日、
兄・妹と三人で母の手を握り、母の顔を見て
生き生きとした母だったなと、やり切った気持ちになりました。
母自身もまた『やり終えたよ』という表情をしていました。
呼吸も、心臓も、何もかも、ゆっくりフェードアウトしていき 子供たち・孫たち・姪や甥に囲まれて天に召されて逝ってしまいました。
人間は、いつか必ず命の終わりの時を迎えます。
その日の迎え方を最後に教わった気がします。
母の人生
母の選択
母の心
母の命
全部を自分で決めて生きた人でした。私は母をとても尊敬しています。
母の愛情で育った私たちは、本当に幸せだなと思います。
生き方も、そして、死に方も サッパリしていた母でした。
私は、母の心の持ち方がとても好きでした。
「おきたことを、『苦しみ』と、とるか、
あるいは『成長のためのお勉強』と、とるか
それは、その人次第
お母さんは、頭が悪いから全部勉強だと思って生きてきた」
この言葉が、母から教わった人生の教訓です。
人は、ひとつずつ命が与えられ
ひとつずつ育って
ひとつずつ帰っていく
それが、たったひとつの命ということでしょうか・・・
「たったひとつの命だから」
つなげる言葉を考える時間は
私にとって、母との思い出に浸る空間と、母に教わったことを確認する時間でした。
たったひとつの命だから
私は、私の思ったとおりに生きます。
福岡県 40歳女性