私の『たったひとつの命だから』の続きの言葉は 『残りの時間を穏やかに、そして爽やかに生きる』です。
私には、家族がありません。
両親が亡くなり、妻が亡くなり、子供がいない私は、家族と呼べる人がいなくなりました。
一生懸命に働いて建てた家と、自然と住み着いた猫だけが、残りました。
今、毎日一人で食事をしています。 美味しいのかどうか分かりません。
テレビも一人で見ています。 面白いのかどうかも分かりません。
そして、話す人がいません。 一人で生きるとは、こういう生活を言うのだなと、初めて知りました。
私は、何のために仕事をして、何のために生きてきたのか、その答えが分かりません。
決まった時刻に出勤をして、夜遅くに帰る。家のこと、親の世話は妻に任せっきりだった。
結婚するときは『幸せにする』と、かっこいいこと言っておきながら、いい亭主になれなかった。
妻が病気で『あと1年の命』とわかって、少しだけ、一緒に旅をしたけれど、彼女の人生は、つまらないものだったのではないかと、心苦しく感じている。
仏壇の前に座って、両親の写真を見ながら、なんて穏やかな顔をしているのだろう・・
と、思った瞬間、目と目が合った気がした。
そして、 『そんなにメソメソしなさんな』 と、笑っている母の声がした。
懐かしさで胸が熱くなり、流れる涙を拭うこともせず、一人で声をあげて泣いた。
それから数日後に、参加させてもらった朗読会。
『たったひとつの命だから』 という言葉は、胸に突き刺さりました。
心淋しく生きている私には、たまらない言葉でした。
誰かが一緒に生きてくれる人生が最後まで送れたらよかったなと、今、私は思うけれど、もう仕方のない事です。
年をとってみて初めて分かることが沢山あるものです。
「一人は気楽でいい」と言う人が時々いますが、それは違う。
少なくとも家族と暮らしてきた僕には言えない言葉です。
もっと早く気付けばよかった。一緒に生きてくれる人がいることの有難みに。
親に、妻に、感謝を伝えることもなかった我が人生。
こんな私と生きてくれた家族に、ありがとうを伝えたい。
たったひとつの命だから
残りの時間を、私は穏やかに、そして、出来るだけ爽やかに過ごして、家族の元へ参りたいと思います。