一般社団法人ワンライフプロジェクト

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僕のペースで生きる

僕は、小学5年から5年間、学校へ行くことが出来なくなり、家で自習をして過ごしました。


15歳の冬、僕のことを心配してくれた母が、不登校の子供たちが沢山通っている高校を見つけてくれて、高校受験をすることになりました。


僕は、人が緊張することろでは、あまり緊張をせず、人が平常心でいれる空間に緊張をしてしまうという障がいを持っています。


試験の問題を解くことは、僕にとって難しいことではありませんでした。
学校の勉強は、自宅でやっていたからです。
問題は、試験を受ける机に着席出来るかどうかでした。

受験の日がやってきました。

雪がちらつく朝、合格を目指す高校に到着しました。
校舎を見た瞬間、足がすくみました。急に心臓の鼓動が早くなりました。

立っていられなくなりました。
母がさっと車椅子を車から降ろしました。
母は、手際よく車椅子に僕を座らせ、教室まで連れて行きました。
母は、「高校だけが全てじゃないから、あなたのペースでいいんだからね」と、言ってくれました。
僕のペースでいいと、日頃から言ってくれるこの言葉は、時計の針の動きを緩めたり早めたりしてくれました。

ここまで僕を支えてくれた母のために踏ん張ってやる!と、決めました。
この世界は、みんな自分が中心で生きている。
みんな自分の足で立って、自分の言葉で心を伝えて、笑いたい時に笑い、泣きたい時は泣く。
それぞれの心が決めること。その心で生きている。

5年間、見守ってくれた母の心は、どんなだっただろうか・・
母さん、ごめん、ごめん、ごめん・・そんな気持ちで席に着きました。

そして、僕は合格をもらい、高校3年間を無欠席で卒業しました。
部活では主将までさせてもらいました。
専門学校へ進み、IT関係の仕事に就き、今、楽しく生きています。

母一人で、兄と僕を育ててくれた母。
経済的にギリギリの生活だったと思う。でも、いつでも母は笑顔だった。
それが、僕の救いだった。


学校へ行けなくなった5年間、僕は周りが全く見えなかった。
光を感じることも出来なかった。


僕を受け入れてくれた高校の先生方には、本当に感謝しています。
根気よく僕という人間に向き合い、道を見出してくれた学校に感謝しています。
優しく手を差し伸べてくれて、一緒に頑張ろうって言ってくれた友達に感謝しています。

人は、人それぞれのペースで生きていいと思います
たったひとつの命だから
たった一度の人生だから
僕は僕のペースでこれからも生きていきます。


      福岡市東区 ST