一般社団法人ワンライフプロジェクト

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真さん

真さんと逢えなくなってもう3年近い月日が過ぎ去りました。
突然 片道切符を持ったまま出かけたきり。
コスモス畑の立つ写真の顔は今も穏やかにしていますが。
2005年11月 医師から告げられた病名は『白血病』でした。言葉も出ませんでした。
覚えていることは『主人には言わないでください・・・』という言葉。
とっさでした。そして「なんで・・なんで・・」この言葉がぐるぐるまわっていました。

娘の結婚式を5日後に控えていたのです。
とにかく、しっかりしなければ。
せめて娘の結婚式が済むまでは泣くまい。この事だけはまだ誰にも告げる訳にはいかない。 
しっかりしなくては・・・
子供たちには検査入院ということにして病院に。
そして 治療の開始を遅らせ 結婚式前日に一泊の外出許可を得て 主人は帰ってきました。
持って行ったばかりの 入院に必要な荷物を全部持って。
今から思えば 娘に “検査入院”と安心させるための主人の精一杯の心遣いだったのだと思います。
娘とバージンロードを歩く主人。
目にしっかりと焼き付けておかなければと思うも涙が邪魔をしてしまいました。
そして新婚旅行に送り出し 本格的な治療が始まったのです。
自由に出入りが許されない『無菌室』での戦いの始まりです。
初めの二週間はほとんど副作用もなかったのですが、娘の帰りを待っていたかのように容態が急変。
なんで・・・ なんで・・・・
12月初め、ほとんど話す力も残っていないはずの主人から夜中に電話がかかってきました。
「まゆ美の体はどうかと思って」 とはっきりした声で二回繰り返しました。
実は私は7年前に心臓ペースメーカーを埋め込んでいました。
その為 日頃から私の体ばかり心配してくれたのです。
しんどかっただろうに 私のことを気遣ってくれていたのです。
それから二日後。
「呼吸が停止しました。後 10分程で心停止します」無機質な程の医師の言葉。
私は思わぬ行動をとっていました。
主人の胸に顔を伏せ 子供たちに主人の両腕を私の背中の上に置いてくれる様 頼みました。
抱いてもらいたかった・・・のです。
その時でした。 主人の手にぐっと力が入ったのを感じたのです。
主人が私にくれた“最後の贈り物”だと思っています。
やり残したことがまだまだあったはず。
急なことに一番戸惑っていたのは主人だったはず。
「まゆ美 がんばれよ!しっかりしいや!」最後の 本当に最後の力をふりしぼり、そう私に伝えたかったのでしょう。
人は命ある限り 人を思いやり気遣うことができるものなのですね。
正直 まだ受け入れられない自分がいますし立ち直ってもいません。
立ち直っている風に見せています。
今日一日をちゃんと生きようと思えるようにもなっています。
残された主人の手帳に大きな字で ゆっくり ゆっくり と書いてあります。
主人はずっとこの言葉が好きでした。

たったひとつの命だから  ゆっくり じっくり丁寧に生き延びてやろう・・・
生きたくても生きられなかった人の為にも。
コスモスの花を見ながらそう決意しました。

京都府 60代女性・・・(山下まゆ美)