家族って当たり前のように一緒にいて、当たり前のように一緒に笑うもの。
でもひとりでも病気をしたら、生活リズムは壊れ、皆がストレスを抱えていく。
そして、その大切な家族が天国へと旅立った その後・・
私達は、「人」ひとりの命の存在が いかに大きいものなのかを知るのです。
食卓に座っても ひとつ席が空いています。天気のいい日に干す布団の数が減りました。
お風呂の順番がひとつ早くなりました。玄関で一番存在感のあった大きい靴がありません。
庭の木も元気がありません。
年々、家族みんなで過ごす休日は減ったものの、お墓参りと、母の実家である京都には、家族全員で欠かさず年頭の挨拶に行きました。
昨年末、脳梗塞で倒れた父は2ヶ月の闘病生活を意識すら回復することなく終えました。
人って、いつどうなるのか分からないと言いますが、本当にそのとおりなんですね。
30年の月日を父のそばで、平穏に過ごしてきました。私の気持ちを大切に扱ってくれた父。父はもう帰ってこないんだなと時間とともに感じるようになりました。
私は父からたくさんの愛をもらいました。父がいなくなって、せめて孫の顔を見せてあげればよかったなと後悔しています。父の帰りをじっと待って、玄関のそばを離れない我が家の愛犬。ああ、ここにも父の愛はあったんだな・・
子孫をつないでいく事をあまり考えたことはなかったのですが、命の誕生とか、命の尊厳とか、父の死で知りました。私は父の娘でよかった・・ 私もそう思ってもらえる親になりたい。
たったひとつの命だから 新しい命を 私の命以上に 大事に育んでみたい
私の命がそういう両親から誕生したように。
これから季節は春ですね。人が優しく見えるこの季節。新しい出会いが待っていますように。
そして、たくさんのメッセージがこれからも生まれ、人の心を元気にしてくれますように。
私がそうだったように・・
(第2巻掲載)