私が、この言葉に繋ぐ想いを書こうと思ったのは、本の中の【おばあちゃんへ】
【忘れられないお弁当】というお話を読んだからです。
私は、高校一年の時に母を亡くしました。
明るくて人付き合いが大好きな母は、いつも人を家に呼んで、生きる事を楽しんでいる人でした。
我流でパンを焼き、料理もアレンジして、そしてそれを人に振る舞って、自分が楽しんでいました。
私が中学に上がったころ、ガンが見つかりました。
その時も、自分はガンには負けないから大丈夫だよって私たちに話してくれました。
そして、私たち家族も、母なら大丈夫だと信じていました。
入退院を繰り返しました。
六度目の退院の翌日から、私と姉のお弁当を作ってくれました。
私は高校一年生、姉は三年生でした。
無理しなくていいと言っても、作ってくれました。
痩せ細った体、体力も落ちて何をするにも普段の三倍の時間がかかってしまうのに。
高熱が続き、明日は病院へ行こうと父に説得された晩、母が私に『明日は唐揚げ弁当にするからね』と言いました。
『お母さん、冗談やめてよ。そんな体で作れる訳ないじゃん。おとなしく寝てて。お弁当は自分たちで作るから』
そう言って部屋に戻り、姉と泣きました。
お医者さんからは、今生きている事が奇跡だと言われていました。
朝早く起きて弁当を作ろうとしたら、そこには揚げたての唐揚げが並んでいました。
鶏肉を切る力もないはずなのに。
母は、誇らしげに笑って『約束果たしたよ』と言いました。
その日、病院へ戻り、一週間後に空へのぼって行きました。
母が亡くなって5年になります。
私たちの好物の唐揚げを最期に作ってくれた母。
母の味を忘れる事はありません。
あの日、これが最期になると分かっていた母を奮い立たせたもの…
これが、母親の愛でした。
お母さんのような母親を目指します。
私のたったひとつの命は、母を尊敬し、母に並ぶことです。
福岡県・二十歳になったあなたの娘より